記事を探す

あめいろぐの活動を
ご支援ください。

ブログについて

アメリカに住み始めて既に20年以上が経ちました。気がついてみたら、アメリカで生まれた4人の子供たちはすっかりアメリカ人として成長し、今年の秋には3人目が大学に入学します。今は、「日本」のことが恋しくてたまりません。趣味:テニス、サッカー、ジム、音楽鑑賞、読書(歴史物、特に日本の近・現代史)。尊敬する人:坂本龍馬。

津田 武

信州大学卒業。フィラデルフィア小児病院にて小児科レジデント、循環器フェロー修了。その後基礎研究に従事。2004年よりAlfred I. duPont Hospital for ChildrenにてStaff Cardiologist とし、臨床と基礎研究に専念。米国財団野口医学研究所常務理事(医学教育担当)。

津田 武のブログ
2012/02/05

私がなぜアメリカで小児科医として働いているのか?(4)

4年生の内科診断学が始まった頃、当時医学部長を勤められていた第一生理(循環生理)の東 健彦教授(故人)にHarrison(世界的に有名なアメリカで代表的な内科書)の総論(症候学)を読むことを強く勧められた。東先生は、生理学の授業でも「生理学は臨床に役立って初めて意味がある」と力説しておられ、医学部にありがちだった「基礎医学」のための「基礎医学」に対しては常に批判的であった。私は、早速Harrisonを購入し、南江堂の医学英和辞典と研究社の英和中辞典を片手に果敢にもアタックし始めた。如何せん、テキストが英文のため読み進むのに恐ろしく時間がかかった。1ページ進むのに、優に1時間以上はかかった。同級生は、おそらく同じ時間で朝倉の内科書を10ページは確実に読んでいるだろうなと思うと多少歯痒かった。それでも、Harrisonに書かれている内容はそれだけ時間をかけて読むだけの価値が十分あることは理解できた。何故その徴候signsや症状symptomsが生まれるのか、病態生理の立場からその理由Reasoningが整然と解説されており、知っておくべき重要な鑑別診断が網羅されていた。本当にものごとの「道理」を知る喜びがあった。それは、診断名とその3徴候と治療法を暗記する味気ない試験のための勉強ではなかった。日本に何故このような魅力的な教科書が存在しないのか、と疑問に思った。アメリカの医学生は、こんな教科書を使って内科診断学や病棟実習をしているのかと思うと、彼らがたまらなく羨ましくなった。そして「卒業後アメリカで臨床留学ができれば….」と、淡い憧れの気持ちを抱く様になった。当時アメリカ臨床留学など、夢のまた夢の話だった。

 

聖路加の小児病棟での体験は、自分の進むべき道に極めて大きな影響を与えた。まず、「小児科」は、「内科」とは独立したこどもの成長と発達の中から健康と病気を考えるユニークな視点を持つ診療科であるということを知った。そして、私達が医師として向き合うべき対象は、「病気」でなく、病気を持つ「人間」なのだと言うごく当たり前の事実を学んだ。大学の医学部では、この最も大切な事実を何故私達学生に教えようとしないのか?大学病院では、いったいどんな医師を養成しようとしているのか?医学生の自分には、それが全く見えなかった。(後で医局に所属してから分かったことは、大学の医局制度とは、「個人」の医師のキャリア養成のために存在するのではなく、医局という「組織」を守るために「個人」が利用されるシステムなのだ、という事実であった)。それでも最終的に、私は聖路加には行かず自分の母校の小児科の医局に残ることを決心した。なぜ信州に残ることを選んだのか? 理由のひとつは、単純に信州が好きになったからだった。6年間松本で過ごし、厳しくもあり優しい信州の美しい四季に強く魅せられた。真夏の炎天下にも木枯らしの吹き荒れる暗い凍結した季節にも、私は実に良く走った。その中で季節が直接自分に語りかけるメッセージを学んだ。そして信州に住む人たちの心の温かさを知った。医師には「心」がある。私の心が、私をこの土地に留まらせた。聖路加の窓から眺めた世界は、あまりに無表情で寂しかった。また当時県立の小児病院建設の計画があり、これからの若い力に大きな期待が寄せられたという事実もあった(それが医局説明会での謳い文句だった)。卒業後は私がきっと東京に帰って来ると信じていた両親は、さぞかし残念だったに違いない。

 

自分は将来どんな医師になるのだろうか、あるいはなりたいのか?一方出身大学を離れて、自分の将来は本当に大丈夫なのだろうか?考えれば考えるほど不安は広がっていった。今から考えてみれば、大学を離れていろいろな分野で活躍している先輩方からもっと積極的に話を聞くべきであった。なぜそうしなかったのだろうか?やはり、大学にいればきっとなんとかなるだろうという「甘え」があったのかも知れない。しかし当時は、卒業生の大半が大学病院で研修することが当たり前の時代であり、それがごく普通の選択肢だったのである。そして5年後には、その自分が「信州」も「日本」という故国をも離れる決意をする。(つづく)

6件のコメント

  1. 張 成浩 より:

    エッセイではなく、物語になっているので、更新を楽しみにしています。津田先生が、いつもすばらしい出会いを大切に過ごされてきたことが、よくわかります。偶然の出会いをただ通りすぎるだけのものとするのではなく、津田先生が、その偶然を、ご自身の力にされているような気がします。津田先生たちが、「夢のまた夢」を、現実にされてきた今、自分も勉強できていることに、幸せを感じます。

    • 津田 武 より:

      張先生、いつもエッセイを読んでくれてありがとうございます。「夢」という言葉を口にするのが多少気恥ずかしい年になりましたが、「夢」は持ち続けたほうが良い、というのが私の持論です。今までも、もうあきらめようと思ったことが何度もありましたが、不思議にいつもぎりぎりのところで生きながらえていました。もうひとつ大切なことは、この「夢」を共有できるパートナーがいるかどうか、ということです。私の場合、妻の協力と理解が無ければもうとっくに「夢」は消えてしまっていたと思います。

  2. 松本 菜々 より:

    津田先生
     何もコメントしてきませんでしたが、私もとても楽しみに読んでいます。津田先生の姿勢(医師としてもプライベートでも)に、アメリカでオアシスを見つけた気持ちになりました。思わず主婦の妹に先生のストーリーを読んでみて!と話ました。ペースの速いアメリカの生活の中で大切なものを見逃さないでおられるから 夢を叶えてきていらっしゃるようにも感じました。これからも楽しみに読ませて頂きます。

    • 津田 武 より:

      菜々さん、コメントありがとうございます。毎日のごく当たり前の光景の中に、驚くべきほど感動する瞬間があります。「わーすごい」と思うと同時に「今までなぜこれに気がつかなかったのか?」という二つの思いが交錯します。こんな経験は私たちの毎日の医療現場にてしばしば遭遇するものです。そんな「出来事」を綴っていきたいと思います。これは、本来のこのブログの目的からは離れてしまいますよね。とりあえずは、編集者の方から「注意caution」や「指導」がないので、しばらくはこのスタンスで続けたいと思います。

      • 浅井 章博 より:

        いえいえ、ブログはそれぞれの自遊空間なので自分の思うままのことを綴ってください。それぞれの織りなす糸が縦横に重なって模様になっていくことを目指しています。

        • 津田 武 より:

          浅井先生、ありがとうございます。毎回の投稿が規定の字数制限をいつもオーバーしていることも承知しています(すみません)。
          日米の「相違点」と「共通点」は、本当は紙一重ではないかと思っています。私たちがかかわる医療の中でもっとも大切な真実とは、医師は病気の患者の心に触れることだと思います。その大切さは、日本でもアメリカでも十分認識されていると思いますが、その表現の仕方が多少違うのではないかと思います。しばらく、日本での思い出話が続くと思います。

ページトップへ↑