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ラプレツィオーサ伸子

ブログについて

超高齢化に少子化。看取りはこれからの日本にとって大きな課題です。アメリカでの訪問看護、在宅ホスピスナースとしての経験を少しでも役に立たせたいと思い、一人で“ホスピス啓蒙活動”(略してスピ活)をしています。あめいろぐを通じてより多くの人にホスピスや緩和ケアについて興味を持って頂き、スピ活を広げていきたいです。

ラプレツィオーサ伸子

千葉県出身。東京大学医学部付属看護学校、北海道立衛生学院保健婦科卒業。神奈川県の大学病院で整形外科、神経内科病棟勤務後、米国留学、癌専門看護において看護修士取得。RN。1998年より現ジェファーソンヘルス・ホームケア・ホスピスにて在宅ホスピス及び緩和ケアに従事。CHPN(Certified Hospice and Palliative Nurse:ホスピス緩和ケア認定看護師)、CHPPN(Certified Hospice and Palliative Pediatric Nurse:小児ホスピス緩和ケア認定看護師)。2019年に「ホスピスナースが胸を熱くした いのちの物語」を出版。

ラプレツィオーサ伸子のブログ

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 (この記事は2019年4月2日に 活動的な高度な自律的なナースのための情報サイト 日経メディカルAナーシングに掲載されたものです。該当記事をご覧になるには会員登録が必要です。)

前回は、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)を医療現場に普及させるための方法や課題についてご紹介しましたが、今回は、実際に私が経験した症例についてご紹介します。

ACPは、事前指示書アドバンス・ディレクティブ、AD)を作ってしまえば完了、というわけではありません。また、ホスピスケアを受けているからACPは必要ないということもありません。事前指示書はあくまでも本人の意思決定が不可能な場合に有効なのであって、それ以前の段階で本人が意思を翻した場合、医療現場では当然、それが尊重されるのです。

私が受け持ったホスピスの患者さんで、こんなケースがありました。65歳の女性Aさんは、卵巣癌の末期。様々な治療を行っており、左右両方に腎盂カテーテルが入っていました。全身状態の悪化と意識低下で入院した際、Aさんはご主人と一緒にパリアティブ・ケア(緩和)・チームと何度か話し合いをした末にホスピスケアを選び、ホスピス病棟に転棟しました。当初はおそらく1週間は持たないだろうという状態でしたが、思いのほかAさんの全身状態は安定し、自宅でホスピスケアを継続することになったのです。

ご主人、シングルマザーの長女と3歳の孫、フリーターの次女と住む家はとても狭く、玄関を入ってすぐのリビングルームに電動ベッドを置き、Aさんはベッドに寝たきりでした。質問には蚊の鳴くような声で答え、聞き取りにくくはありましたが意識ははっきりとしていました。

不安が強く、症状によって大きく揺れ動く気持ち
Aさんは、痛みはコントロールされていましたが、しばしば嘔気、嘔吐があり、夜間の不眠と強い不安もありました。そして、育った環境の影響もあってか、若いころからうつの傾向があり、4度の自殺未遂をしていました。Aさんの幼なじみであるご主人は、献身的にケアをしていましたが、おそらく何らかの発達障害があるとみられ、臨機応変に対応することが困難でした。

また、Aさんもご主人も、ホスピスケアの目的やゴールを理解してはいたものの、お二人とも不安が強く、その時の症状によって気持ちも大きく揺れ動きました。Aさんは、約2カ月の間に2度ホスピスケアのサービスをキャンセルして病院に入院し、それ以外にも急性期症状の緩和目的でホスピス病棟に2度入院しました。

最初の入院は腎盂カテーテルが抜けてしまうアクシデントでした。その時はホスピスホットラインに電話してきたため、ホスピス病棟に搬送。無事カテーテルを入れなおして自宅に戻りました。

しかし、その後しばらくすると、Aさんは尿路感染を起こし、再度入院しました。経口の抗菌薬で十分対応できたのですが、Aさんがご主人に、最初に腎盂カテーテルを入れた大学病院の泌尿器科に電話するように頼みました。そしてご主人は、電話でホスピスケアを受けていることを言わなかったため、すぐに受診するよう勧められ、Aさんはそのまま入院となったのです。

事後報告でそのことを知った私は、すぐにその大学病院の泌尿器科と連絡を取りました。Aさんがホスピスケアを受けていたことを説明し、病院のパリアティブ・ケア・チームと話し合いACPを行ってもらうよう頼みました。

 

Aさんは抗菌薬治療を受けて退院し、在宅でのホスピスケアを再開しました。しかし翌日には嘔気と嘔吐がひどくなり、ホスピスホットラインに電話をする代わりに救急車を呼び、今度はERに行ったのです(その時も、本人がご主人に救急車を呼ぶよう頼んだのでした)。この時はホスピスと同系列グループの病院だったため、すぐにパリアティブ・ケア・チームが入り、もう一度Aさんおよびご主人とACPを行って、治療やケアの方針について話し合いました。

Aさんは、在宅でのホスピスケアを希望し、DNRの方針もそのままでという希望でしたが、ご主人に負担がかかるのではないかという点を気にしていました。ご主人は「何とかなる」と主張し、自宅での介護を望みました。

こうして、Aさんは3度目の在宅ホスピスを再開しました。ただ、次第に痛みが強くなり、鎮痛薬の量を増やしていきました。眠っている時間が増え、話す声は、耳を口につくくらい近づけなければ聞こえないほど弱々しく、時折、混乱することもありました。そんな状態の中、Aさんは鎮痛薬の点滴に固執するようになったのです。

夫は「彼女の希望通りにしたい」
舌下薬で痛みがコントロールできていないわけではありませんでした。また、ご主人の負担とストレスを考えると、携帯ポンプを使った鎮痛薬の持続静注はできれば避けたい手段でした。しかし結局、ご主人も「彼女の希望通りにしたい。彼女が点滴の方が効くというのなら、そうしてほしい」と言ったため、まずはホスピス病棟に入院して点滴を始めて様子を見よう、という方針で合意しました。

幸い、Aさんにはポート(皮下埋め込み式カテーテル)が入っていたため、4日間ほどホスピス病棟で様子を見ながらご主人にポンプの使い方を指導し、希望通り持続静注をしながら自宅に戻りました。そして最後の6日間を穏やかに自宅で過ごし、家族に見守られて、静かに息を引き取りました。

このケースのように何度もACPを行い、ホスピスケアのキャンセルと再開を短期間のうちに繰り返したケースはまれですが、ほかにも末期のうっ血性心不全でミルリノンの持続点滴を続けながら在宅でホスピスケアを受け、本人がミルリノンの中止を希望するまで、ACPを繰り返したケースなどもあります。

ACPにマニュアルはありません。同意書のように、「説明しました、サインしてください」と言って、‟取る”ものではないのです。そして事前指示書は、本人の意思決定が不可能な場合、つまり、その時点で‟気が変わる”ということがあり得ない状態になった時に、その効力を発揮します。

ACPも事前指示書も、どちらもエンドオブライフ(EOL)ケアにおいては非常に重要なものです。ACPに注目するあまりに事前指示書をないがしろにしてしまわないよう(その逆もしかり)、医療者は、十分注意してEOLにおける意思決定の支援をしていくことが大切ではないでしょうか。

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