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鈴木麻也

ブログについて

ニューヨークは、アメリカのみならず南米、アフリカ、アジアなど様々な地域から人が集まる場所。医学はもちろん、文化、国際事情、医療システムなど、日本にいた時には全く知らなかった現実を目の当たりにしています。この経験を通して考えたことを発信していきたいと思います。

鈴木麻也

函館生まれ横浜育ちのどさんこ、はまっこ。日本医科大学ボート部卒業後、広い世界に憧れ留学を目指す。2008年に医学部も卒業し、同大学病院での初期研修後、2010年からニューヨークのハーレム病院で小児科研修中。2013年からメモリアルスローンケタリングがんセンターで小児がんフェローシップを開始予定。

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(この記事は、若手医師と医学生のための情報サイトCadetto.jp http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cadetto/ に寄稿されたものです。Cadetto.jpをご覧になるには会員登録が必要です。)

HIVやエイズと聞くと、どんなイメージを持ちますか?性行為による感染、麻薬中毒者の注射器の使い回しによる感染などを思い浮かべる人が多いと思います。しかし、中には生まれた時からHIVに感染していている子供たちがいます。

HIVの母子感染の数は、抗HIV薬の発展や帝王切開の実施、母乳を与えないといった予防策の普及により減少しています。それでもまだ、世界では毎日約1000人の赤ちゃんが妊娠、出産、授乳中にHIVに感染しています(2009年UNICEFによる報告)。特にアフリカでは、妊娠中にHIV検査を受けないまま出産を迎え、子供がHIVと診断されたことをきっかけに母親自身の感染が分かるケースや、HIVに感染した女性が抗HIV薬を手に入れられず、治療できないまま妊娠出産に至るケースが少なくありません。

小児HIV患者と家族専門のクリニック
私が働くニューヨークのハーレム病院には、主に母子感染によるHIV感染をした子供のフォローと、家族のサポートをする「ファミリーケア クリニック」があります。母子感染予防策が現在ほど発展していなかった頃に生まれた思春期以降の青年たち、アフリカからの移民の子供たち、抗HIV薬をしっかり飲まない母親から生まれた子供たちなど、様々な背景の患者が来ます。全員に共通していることは、子供たち本人には感染を防ぎようがなかったこと、今の医療ではHIVを完治させることはできないため、一生抗ウイルス薬を飲み続けなければならず、将来結婚や出産の際にはまたHIVに向き合う必要が出てくることです。

HIVに感染しても抗ウイルス薬を飲んで治療をすれば、何十年も生きることができますが、人生で直面する問題や葛藤は計り知れません。ファミリーケア クリニックでは、子供たちが成長し自立して社会に出た時に、自分自身の病状を理解して健康を保ち、様々な社会的、心理的問題にも対応できるよう、子供の頃から少しずつ病気について説明し、健康管理やほかの人への感染予防の大切さを教えたり、進学や就職など、将来のことを話し合ったりもします。

これらを行うためには、まず子供自身がHIV感染の事実を知っている必要があります。しかし、なかにはどうしても子供に病名を告知したくないという親、子供が毎日飲む抗HIV薬のパッケージから薬の名を消して、病名が分からないようにしている家族にも出会います。背景には、子供への病名告知をためらわせるHIVという病気特有の問題があるのです。

HIV感染の事実をどう小児患者に伝えるか
小児への病名告知は、子供の「知る権利」だけで説明できるような単純な問題ではなく、多くの要素がかかわり合っています。「病名告知」と一言にいっても、それぞれの子供の理解力に応じて、病名そのものを伝えるのではなく、子供にも分かりやすい別の言葉と方法で伝えたり、家族と話し合ったりしながら、時間をかけて進めていきます。

病気の種類によっても、告知の方法やタイミングは変わってきます。例えば、私はまだ実際に立ち会ったことはありませんが、診断直後に化学療法や手術といった治療を開始する必要があるような、生死に直結する「小児癌」の場合はおそらく、HIVとは違った形で告知が行わるのだと思います。

次回の記事で、HIV特有の告知の難しさ、小児への病名告知にかかわる様々な要素について、ファミリーケア クリニックで出会ったHIVの子供たちや家族、実際の告知に当たる医師、メンタルヘルスチーム、ソーシャルワーカー、ケースワーカー、ナースといった様々な関係者との話し合いをもとに考えたことを、書きたいと思います。

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