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斎藤浩輝

ブログについて

どこに不時着陸するのか私自身全くわからないのですが日本含めて世の中に役に立てる人間であれるよう努力していけたらと思っています。どんな環境でも自分次第。アメリカでもいろいろ学んでいきたいです。特技:火起こし

斎藤浩輝

2005年新潟大卒。群星沖縄基幹型病院沖縄協同病院で初期研修修了後2008年から約2年青年海外協力隊員としてウガンダのど田舎県病院でボランティア。派遣終了後ボストンで公衆衛生学修士を取得(国際保健専攻)し、その後内科研修修了。現在はカリフォルニア州で感染症フェローとしてトレーニング中。

2013年になって気付けば2ヶ月目も終わろうとしています。ボストンでは最近はsnow stormという言葉をよく聞くとともに、病院でもホームレスの方があまりの悪天候に「社会的入院」というかたちで入院しており何人か担当もしました。

 

さて年の始まりはその年が何年かよく意識するものですが、そんな年にまつわるフレーズで『ポスト2015』という言葉を昨年頃から聞くようになりました。2013年を迎えても変わらず時々出現するこのフレーズ、皆さんはご存知でしょうか。

 

『ポスト2015』という言葉は、2000年に国連で採択されたミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)という世界の貧困削減等を目標に定められた8つのゴールの最終期限がそれから15年後の2015年であることに関連したもので、そのMDGs『後』(= post)の世界はどんな方向を向いてこれらの課題と向き合っていくか、というものです。気付けばあと2年。国連のMDGsのホームページからたどっていくと、ポスト2015に向けて、我々のような個人レベルの声も吸い上げるべく、「あなた、あなたの家族にとって最も大事なものを以下から6つ選んでください」と、よい医療、よい教育等いくつかの項目が並べられて そこから投票できるようになっていたりもします。個人として、日本人として、医療に関わる人間として、どんな風に関わるもしくは貢献できるのか考えることがあります。

 

保健に関するものとして、MDGsの6番目のゴールでは、HIV/AIDS、マラリア、結核に関する目標が掲げられています。他のゴールと比べてもこのゴールだけは疾病ベースの目標で特異に感じます。その当時それだけ感染症、特にHIV/AIDSに関する世界の動きが活発だったことの現れとも言えるのかもしれません。

 

それとは対照的に、2000年代からNon-communicable Diseases(NCDs)という言葉も徐々に使われるようになってきました。主に心疾患、悪性腫瘍疾患、慢性の呼吸器疾患、糖尿病を総称したものです。WHOの数字を借りるなら、全体の60%の死因がNCDsに占められており、NCDsによる死亡の80%は低〜中所得の国々でのものといわれています。とても無視できる数字ではありません。

 

OxfamというNGOがポスト2015に関して興味深い文書を出していていたのですが、そこで言われているようにポスト2015という枠組みをどこに重きを置いて変化を促していくか(その文書内では各国の規範を変えていく、政府のポリシー決定に影響を与えていく、市民組織といった政府以外の組織からの働きかけを通して国を変えていく、の3通りを提示していました)という、そもそものポスト2015の存在意義を考えると、疾患ベースにこだわりすぎた保健/医療の目標を定めるのは、「この病気は大事だがこの病気は大事ではない」というように順序付けをするようで個人的にはあまり得策ではないのではとは思います。ただ、NCDsも(いろいろな段階の予防ではあれ)予防対策をたてることが可能かつ重要なものなのであると考えると、高齢化も進む世界の現状も踏まえれば当然考慮されるべき事柄になると思っています。

 

さて、私の普段の診療のための勉強ということでアメリカの循環器疾患関係のガイドラインを読んでいたら、アメリカ人成人の3人に1人が何らかの心疾患を患っていて、あるスタディのなかでは冠動脈の血行再建の治療を受けた30%の人がその後も仕事に復帰できなかった、などと書いてあります。その文書のなかには診断方法、薬物使用、カテーテル術といった血行再建の手段、等々専門的な事象が細かく書いてありますが、同時に体重管理、禁煙といった基本的な、普段の生活に関わる事にまで触れられています。実際のところ普段の業務で指導医といった上級の医師から教わることはというと、往々にして前者のより専門的な事柄であり、私が普段一緒に仕事をしているアメリカ人の若い医師/医学生らは、臨床経験はまだ浅くてもそれらの知識には目を見張るものがあります。一方で、糖尿病の食事療法が必要となれば栄養師に普段の食事の指導をお願いする、飲酒に問題のある患者はカウンセラーに禁酒のための話しをお願いする、というのが自然な流れです。

 

ただ、NCDsと聞いて私のウガンダでの経験として残っているものは、以前も話した通り、高血圧の薬を約2年間のうちに勧めた患者はおそらく10人いないという事実(薬を出したところで彼らの多くは飲み続けるとは思えない、定期通院すら難しい生活状況)、そしてインスリンの薬を保管する冷蔵庫などない生活のなか、氷屋から氷を買ってインスリンを氷水入りのコップに入れてそれを右手に診察に現れた患者の姿です。彼らには薬を与えることだけが医師の仕事ではない事が明らかでした。

 

WHOがすすめる途上国向けのNCDs対策として“Best buy”な活動は、禁煙、過度な飲酒を避ける、減塩、適度な運動等です。それらを促進するためポリシーに関わる人達にはたばこの増税等の介入策を提示していますが、一方で現場にいる医療従事者はそれらに関する知識、かつそれを実際の患者背景に合わせて指導できるだけの経験/技量が不可欠なように思います。そしてそれは先進国であるアメリカの臨床医にとっては(少なくとも私の立場である研修医の評価項目としては)重視されていないように感じ、複雑な気分です。ボストンの郊外にはフレミンガムという地域があり、そこの住民を追った研究から心疾患関係のリスクファクターといった数々の有名な事柄が明らかにされていますが、医師としての役割は知識の充足だけでは不十分なのは間違いないとは思うのですが。。。

 

日本の外来診療は『3分診療』と言われて久しいですが、ある意味それだけ医療にアクセスしやすい(アクセスしてくる)状況を作れているのはすごい事だと思います。熱や痛みといった症状が(長く)続いて初めて来院するウガンダの地元住民達の現状を考えたら、 無症状で落ち着いていてもNCDsのために定期通院で行列ができる状況は私のいたウガンダの病院ではとても想像がつきません。先進国とされる国々が1900年後半から心筋梗塞や脳卒中といったNCDsを減らしてきた公衆衛生的な側面からの経験に加え、日本の『3分診療』のなかにNCDs対策のための現場のエッセンスがあるとするならば、それらは他の国々でも応用可能なものがあるのではと思ってしまいます。灯台もと暗し。国際保健などというと仰々しく聞こえるかもしれないですが、日本でもアメリカでも、医療現場に関わる1人1人の経験には実はもっといろいろな貢献の可能性があるのかもしれません。そんなお互いのGood Practiceのシェアが盛んになる方向にポスト2015が作られていくことを願っています。

 

“When nothing is sure, everything is possible.”  –  Margaret Drabble

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