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斎藤浩輝

ブログについて

どこに不時着陸するのか私自身全くわからないのですが日本含めて世の中に役に立てる人間であれるよう努力していけたらと思っています。どんな環境でも自分次第。アメリカでもいろいろ学んでいきたいです。特技:火起こし

斎藤浩輝

2005年新潟大卒。群星沖縄基幹型病院沖縄協同病院で初期研修修了後2008年から約2年青年海外協力隊員としてウガンダのど田舎県病院でボランティア。派遣終了後ボストンで公衆衛生学修士を取得(国際保健専攻)し、その後内科研修修了。現在はカリフォルニア州で感染症フェローとしてトレーニング中。

2012/12/23

12月1日

こんな題名をつけたものの、投稿するまでにすでに3週間以上たってしまいました。12月1日はWorld AIDS Dayとして国際的に知られています。日本でも各地でHIVに関する活動があったことと想像しています。私がかつていたウガンダの田舎町では、当日は町の中心の小学校の敷地に多くの人が集まって、県のトップの人のスピーチ、HIV陽性者グループによる演劇、ブラスバンドのマーチング等いろいろなプログラムが一日中行われたのですが、その場の主役はHIV陽性者であったことは間違いなく、彼らが主体に地域の人々のHIVへの認識をより深めてもらう日として有効な一日だったように感じています。

ボストンにいる現在は、当日ではないですがマサチュセッツ総合病院(MGH)とボストン大とで行われたHIV関連のイベント/セミナーに参加してみました。MGHにはThe United States President’s Emergency Plan for AIDS Relief (PEPFAR)というブッシュ大統領時代に始まったアメリカのHIV/AIDSに対する大規模な国際支援の枠組みに主要人物として長く携わってきた医師が招かれ、今後のPEPFARとしての取り組みといった国レベルでの大きな流れが話しの中心でした。以前私の投稿でもこのフレーズを用いましたが、“AIDS Free Generation”を達成していくために国際社会はどうしていくべきか、彼の言葉はかなり現実的にそして前向きにその目標をとらえているようでした。ボストン大公衆衛生大学院関連のイベントでは音楽関連会社MTVが企画/作成したアメリカにいるHIV陽性者のドキュメンタリーがいくつか公開されそれをもとに参加者が討論する、という流れでした。私が普段ボストンの病院で出会う陽性者と少し違い、ドキュメンタリーの登場人物はほとんどがHIVを受容し、文字通りPositive Livingしているようで、なおかつそれをサポートする家族や友人との強い絆が描かれており、(私は日本の現状を語れる立場にはないですが)相対的にはアメリカ社会のHIV/AIDSに対する認識は日本のそれよりは少しはオープンなのかなと感じました。

さて、MGHでのセミナー後、今年のWorld AIDS Dayに合わせるように公表されたPEPFARの新しい文書を読んでみました。2011年にヒラリー・クリントンが “AIDS Free Generation”をアメリカのポリシーの重要目標として高々に宣言してから1年が過ぎ、例えば予防政策のなかでもコンドームよりもAbstinence (禁欲)を積極的に進めるプロジェクトが支援されやすかった等、以前はPEPFARが科学的な事象よりもアメリカの政治/宗教の状況を強く反映する色合いもあり批判も多かったようですが、個人的な感想としては今回の文書では以前よりはより包括的に問題が捉えられているように思いました。

私がウガンダの現場で仕事していた数年前より最近明らかに強調されている点としては、抗HIV薬をHIV陽性者の治療としてだけでなく新規感染を予防する(例えば、抗HIV薬を飲んでHIVウィルス量が低い陽性者から陰性者へは性交渉によりHIV感染が起こりにくい)という予防的側面も強くなってきていること、また“AIDS Free Generation”にも関連して、母子感染予防(Prevention of Mother to Child Transmission (PMTCT))がますます注目を浴びてきているように感じました。後者に関するWHOのGuidelineの変更やそれに伴う各国の保健政策の調整もどんどん進んでいるようで、私がボストンで大学院/研修医生活をしているうちに何だか置いていかれた感がして少し寂しい思いもしました。(苦笑)

さて、話しはそれますが教育機関では学期末にあたるこの時期、私の大学院時代のメンターで臨床医でもある大学院教授に誘われて、彼が教える授業の 大学院生達のプレゼンを聞かせてもらう機会がありました。彼はボストンの保健系NGOでも長く仕事をしており、彼のクラスの最後は、学生達が授業で学んだものをもとに海外での保健系プロジェクトのアイデアをまとめ、第一線の現場で働いているそのNGOの人達にプレゼンをする、というのが名物行事になっています。2年半前に彼のこの実践的な授業を最初にとった私は、当時の私のひどいプレゼンも思い出しながら(…)彼らのプレゼンを聞いていました。そこで最後にNGOの専門家からの総括として、プロジェクトが一体どのレベルからアプローチされるものなのか、国レベルなのか、県レベルなのか、もっとコミュニティレベルなのか、アイデアだけでなくその実施段階でのStakeholderの存在、もしくは彼らの置かれた背景をよく考慮するように、と言う事が口酸っぱく強調されていました。大学院生から身分が変わって再び医療現場で一臨床医として仕事をしている現在の私としては、今の病院現場からはこんなコメントは決して受けられないだろうなという意味で久しぶりに大学院時代の視点を振り返る感覚を味わいました。

改めてPEPFARの文書で(私にとって)目を引いた先の事柄を考えてみると、つい半年前にウガンダを再訪したにも関わらずどうして私がそれらの最近の潮流に「遅れをとっている」ように感じたのか、そこには半年前のウガンダの私の以前の病院の状況と約3年前(ウガンダを離れてもう3年も経ってしまいました…)の状況とに大差がないように私が感じたという現場での感覚が大きく影響しているように思います。つまり、ここ数年でどんどんサイエンスの分野でいろいろな「エビデンス」とされるものがでてきてポリシーレベルでそのエビデンスを取り入れるように各国が動いていても、末端のなかの末端である私の以前いた病院のような現場はまだまだ追いつけていないのではないか、という事です。

小さな次元の例えですが、今のボストンでの病院でも、連日のようにトップからメールが送られてきます。例えば「電カルのここが変わったからこれからはこう入力するように」というような類いのもの。我々研修医達は「なんだかまた手間のかかる仕事が増えた。」などと思っているかもしれません。先の大学院のプレゼンでも学生は言います、「このプロジェクトはプロジェクト終了後の持続性も考えて現地のスタッフを中心に進めていきます」と。私の知っているウガンダの現場は仕事をしている人達は本当にフル回転で仕事をしています。けれど、病院全体でパソコンは1台だけ、ネットなんてもってのほか、そこにものすごいスピードで先進国の人らによって蓄積されていくサイエンスをもとに国の保健ポリシーが変わり、ある日突然「明日からはHIVの母子保健予防用の薬として今までの薬Aではなく薬Bを使ってね」と言われている現状(当然そのポリシーが計画/実施されるまではいろいろなフェーズはありますが現場はそんな事は知る由もありません)。そしてそんな通達を受けるのは往々にしてすでに現場でフル回転で仕事をしている人達です。同時に、彼らは海外から新しく入ってくるプロジェクトの人達から現場で信頼のおける人間として最初に声をかけられるような存在でもあります。私のボストンの病院研修医と全く同じコメント「なんだかまた手間のかかる仕事が増えた。」と、さすがの働き者達にも思われてもおかしくない状況がウガンダの一番末端のレベルにはあるかもしれません。PEPFARでも抗HIV薬のますますの普及を訴えていますが、すでに文字通り一杯一杯の末端をみている私としてはそれが進めば進むほど薬剤耐性含めたいろいろなマイナスの可能性のことが心配になります。臨床医が患者を最後まで診るということに責任感を持つのと同様に、PEPFARが国として抗HIV薬の普及を世界中に広めるというのには責任感が必要です。最初に遠くの人々に薬を届けるのが難しいのではなく、その薬をちゃんと扱える人材を確保した上で一度始めたからにはそのHIV陽性者が一生飲んでいけるような体制を確立することのほうがはるかに難しいことです。道なき道を少し行けば畑に飲みかけの抗HIV薬の入った容器が捨てられていても何ら不思議でないような地域を私は知っているからこそ、抗HIV薬の本当の意味での普及は覚悟のいる事のように思います。

それでも、HIV/AIDSは国際保健上のいろいろな課題のなかでもある種特別な存在のようにも思います。それはWorld AIDS Dayのパレードで先頭に立つような人達はHIV陽性者含めた当事者であり、大きなSocial Movementが他の課題よりも起こりやすいというのも関連していると思います。PEPFARは言うまでもなく、どのHIV関連文書を読んでも活動の中心からHIV陽性者の存在が省略されることは決してありません。私は保健/医療を提供する立場の存在ですが提供者側だけでは限界があり、むしろサービス提供者—サービス受給者の関係などもはや関係ないくらいにいろいろな人を人的資源としてとらえないといけないのかなと思います。 そして、どうやっていろいろな人とうまく事を運んでいけるか、トップダウン、ボトムアップ、もしくは医師対患者という意味の1対1の視点、さらには友人としてウガンダ人に関わる一外国人としての視点等々、いろいろな角度から物事を捉えられ、かつその視点の切り替えも速くできる人間になれたらなあと、半ば無理難題な理想を改めて考えるきっかけになったのが私にとっての今年のWorld AIDS Dayになったのでした。

“He has a right to criticize, who has a heart to help.”

Abraham Lincoln

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