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反田篤志

ブログについて

最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

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(この記事は2013年6月13日CBニュース http://www.cabrain.net/news/ に掲載されたものです。)

6年間の医学部教育を経て研修医となって経験を積む日本と、4年制大学卒業後にさらにメディカルスクールに4年間通って医師になる米国の医学教育。それぞれの教育課程で、医師として得られる資質にはどんな違いがあるのでしょうか。日本におけるメディカルスクールの導入の是非について取り上げた前回に引き続き、今回は日米を比較することで見えてくる、「目指すべき医学教育」について掘り下げたいと思います。

【前回記事】

https://ameilog.com/atsushisorita/2013/10/21/212224

■日本の医学生の強み

前回も述べたように、医学部(メディカルスクール)卒業時点で比較すると、少なくとも臨床面では、米国の医学生の方が圧倒的に優秀です。最も大きな理由は、メディカルスクールが医師養成の専門機関であり、4年間を医学教育だけに費やすことができるためです。

逆に、日本で2年間の初期研修を終えた時点と、米国でメディカルスクール修了時点を比べたらどうでしょうか。いずれも大学入学から8年が経過した段階ですから、こちらの方が公正な比較になるかもしれません。

こうして見ると、日本の初期研修にばらつきが大きいため比較は難しいですが、「明らかに米国医学生の方が優秀だ」と言える例は減ってくると思います。
わたしは2年間の初期研修を終えた後に渡米し、アメリカのメディカルスクールを卒業したての同僚と働きました。その経験からすると、2年の初期研修を終えた日本人が、メディカルスクールを卒業したての米国人より臨床的に「できる」点はいくつかあります。

一つは、日本の初期研修医の方が、自分で臨床的判断を下せること。米国の医学生は最終学年になると臨床チームの一員として活躍しますが、自ら手を下せる範囲がきっちりと決められており、特に、素早い判断を迫られる場面での対応は求められていません。知識は豊富ですが、患者の急変時などには正確な判断を下せるようにはなりません。それと同様に、手技の経験数が少なく、点滴ラインなどが必要な時に自ら状況を打開する能力は養われていません。

もう一つは、とにかく場数を踏んでいて、臨床的感覚と頻度の高い疾患への対応が養われている点です。一度に3、4人しか担当できない米国の医学生に比べ、経験数では日本の初期研修医が勝ります。

最後に、患者の診療に責任感を持ち、それに応じて知識を蓄えていること。自分で患者を治療しようと思ったら、いやでも応でも教科書を読み、臨床的に使える知識を身につけなければなりません。上級医に守られている米国の医学生に、知識を得る「必死さ」で勝ることができると思います。

■米国の医学生の強み

一方で、米国の医学生が日本の初期研修医より「できる」と感じた領域もいくつかあります。

一つはコミュニケーションスキルです。これは、コミュニケーション能力が大学やメディカルスクールの入学で重視されることとも関連しています。さらに、医学生の評価項目には、「チームの一員として診療に貢献していたか」「他の職種を尊重し、円滑にコミュニケーションしていたか」など、コミュニケーション能力を具体的に評価する項目があり、それが最終成績に反映されます。患者さんとの話し方といった医師としての「正しい」振る舞い方も身につけている学生が多いように思えます。

また、米国の医学生は、主訴から鑑別診断を挙げ、身体診察や検査から絞り込んで診断に近づけていく、という作業を徹底して繰り返し学びます。その結果、疾患へのアプローチを系統立てて考える癖がつくようになり、鑑別診断を広く考えることができるようになります。

最後の一つは、批判的吟味です。米国の医学生は教科書や文献を当たり、自分の患者さんに「なぜ」その治療が適応されるかを考え、それを上級医にプレゼンすることが求められます。一度に3、4人しか担当しないため、臨床経験を積みながらも教科書などを調べる時間が取れるわけです。常に「なぜ」と考える批判的吟味の姿勢は、多くの米国の医学生が身につけているように見えます。

■日米の医学部教育に見る、日本の落とし穴

どれも必ずしも一般化できるわけではありませんが、こうして比較すると、日本の初期研修医が現場知識から入ることで陥りやすい落とし穴が見えてきます。その第一が、現場での経験にとらわれ過ぎて生じる「ヒューリスティックバイアス」です。

主訴から系統立てて考える思考回路を形成する前に多くの症例を経験すると、自らの経験則に則った判断をしがちになります。例えば、咳と発熱で来院した肺炎の患者さんを3人立て続けに診たとします。すると、次の患者さんが咳と発熱で来院した場合、「これも肺炎だろう」と考えがちです。

経験則に基づく判断は常に間違いではありませんが、肺炎以外の可能性を選択的に除外してしまうことにより、例えば結核などの診断の見落としにつながります。主訴から鑑別診断を考える癖をつけている場合、それを回避できる可能性が高まります。

また、日本の初期研修医は、職場の医療水準に過度に適応してしまう懸念もあります。

これは市中病院での研修に比較的多く見られるかもしれませんが、臨床経験の乏しい医学生が突然忙しい医療現場で多くの患者を担当した時、提供されている医療に対し、文献などを基に「本当に適切な治療なのか」と批判的吟味を加えることは困難です。その結果、上級医の判断を「見よう見まねで」覚えるようになります。臨床知識を「体で」覚えて反射力を鍛えることが必ずしも悪いとは思いません(実際わたしもそうして学びました)。しかし、その治療が本当に正しいかどうか常に自分で考える癖がついていない場合、一旦「体で」身につけた知識の修正は困難です。そして、その知識が誤りだったとしても、それに批判的吟味を加えることなく、「今までそうしてきたから」という理由で同じ誤りを繰り返してしまう可能性があります。

限られた教育資源と時間の中で、すべての技能を完璧にこなせるように教育することはできません。日米の医学生を比較することにどれだけ意義があるのかは不明ですが、日本の医学生、初期研修医が制度上身につけにくい能力を知っておくことは、医学教育の質の向上を考える上でとても参考になると思います。日本が目指すべき医学教育のあり方は、各国の制度の比較から分かる長所や短所を理解することで、見えてくる部分もあるのではないでしょうか。

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