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反田篤志

ブログについて

最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

地震が発生したことを知ったのは、フェイスブックのタイムラインからでした。もう寝ようと思っていた矢先、新しい投稿に「すごい揺れ…」「信じられない」との友人の書き込み。「何が起こったのだろう?」とパソコンで日本のニュースを検索。衝撃の事実を知ったのでした。米国東部時間で夜中1時になろうとしていました。その日はニューヨークからボルチモアに着いて二日目の夜。ジョンズホプキンス大学での実習が始まった初日。一ヶ月間の滞在先が見つからず、友人の家に泊まらせてもらっていました。

妻と9か月になる息子の安否が気にかかりました。ニューヨークから成田行きの飛行機に乗り、ちょうど着陸の時間帯だったからです。安全に着陸できたのか、着陸中に事故が起こっていないか、着陸後に地震に巻き込まれていないか、不安が巻き起こります。

なんとか頭を切り替え、すぐに妻の実家にスカイプで電話を入れました。幸運なことに、電話がつながります。東京にいる妻の実家の家族は全員無事。妻の母によると、まだ該当の機体は着陸していないとのこと。空中を旋回していたのでしょうか。ひとまず地震には巻き込まれていないと分かり、少し安心しました。その後すぐに私の実家にも電話をかけましたが、すでにスカイプもつながらなくなっていました。

どうしようもない気分になりながら、ニュースで情報を追っていました。ニュースでは、全ての空港で離着陸を見合わせているとのこと。JALのホームページを見ますが、何も情報はありません。津波の映像が繰り返し流れ、心が押しつぶされそうになります。ツイッター上のタイムラインもすごいことになっていました。激しいスピードで更新される地震関連情報に、とても頭が追いつけません。見ているだけでめまいがするくらいの情報量に圧倒されます。

遠くにいて何もできない絶望感に襲われます。近くにいれば、どんな状況であっても何とかできるはずなのに…と考えると、胃のあたりに重い固まりが圧し掛かります。吐き気を催しながら、ニュースとツイッターのタイムラインから目が離せなくなっていました。

2時間ほど経った頃でしょうか、成田着陸予定の飛行機が、大阪の空港に着陸を変更されたという情報が入りました。妻と息子を乗せた機体は、関西国際空港に着陸することになったようです。成田着陸予定の全ての機体が大阪に行くことを考えると、すごい混雑になるのだろうと予想されました。多くの方が東京に戻れず、一晩をどこかで過ごさないといけないはずでした。ホテルは全て満室になるだろうし、幼い息子を連れた妻が空港で一晩過ごすことになったら至極大変だろうと思いました。

今考えると馬鹿な行動だったと思いますが、いてもたってもいられなくなった私は、関西国際空港近辺のホテルを探し始めました。オンライン上の情報ではまだ空室がちらほらあったので、そのうち空港に近いホテルを予約しました。圧倒的な無力感をコントロール可能な範囲に抑えるための、代償的な行動だったのだろうと思います。当時の頭ではとても論理的な決断をしたと思っていましたが、あのような状況でまともに考えられなくなっていたのも無理はないように思えます。

その後も、溢れかえる情報に心は取りこまれたままでした。朝の7時くらいまで眠れずに過ごしていたと思います。まともに何かをできる気はしなかったので、その日の午前の予定をキャンセルしました。眠りについてしばらくしてから、妻から連絡が入ったように記憶しています。結局機体は名古屋空港に着陸し、ホテルはJALが用意してくれました。それでも空港近辺のホテルは全て満室で、妻が泊まったのはJALが手配してくれたバスで空港から30分ほどのところ。海外の航空会社ではホテルの手配まではしてくれず、空港に足止めされていた方も多くいたようです。ホテルとバスまで手配してくれたJALには、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

妻の泊まっていたホテルは海に近くて、太平洋側を襲うかもしれない津波が心配になりました。ああいう状況での不安感は、抑えようと思っても抑えられるものではなかったです。あとから話を聞くと、実際に日本にいた人の方が、落ち着いていたのではないかと思えるほどです。海外にいると、情報が余計に色々と入ってくる上、現地の状況がよく分からず、過剰に反応してしまう部分があるのかもしれません。ホテルでは乳児用の食事も用意してくれて、とても安心して過ごせたようです。ここでも、日本の心のこもったサービスに心から感謝しました。

東日本大震災から一年を迎えますが、お亡くなりになられた方、今もご家族と離れ離れになられている方、被災生活を余儀なくされている方を思うと、心苦しくなります。私の経験したことなど、些細なものに過ぎませんが、あの時感じた気持ちを忘れないように、ここに備忘録として記すのです。

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