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反田篤志

ブログについて

最適な医療とは何でしょうか?命が最も長らえる医療?コストがかからない医療?誰でも心おきなくかかれる医療?答えはよく分かりません。私の日米での体験や知識から、皆さんがそれを考えるためのちょっとした材料を提供できればと思います。ちなみにブログ内の意見は私個人のものであり、所属する団体や病院の意見を代表するものではありません。

反田篤志

2007年東京大学医学部卒業。沖縄県立中部病院で初期研修後、ニューヨークで内科研修、メイヨークリニックで予防医学フェローを修める。米国内科専門医、米国予防医学専門医、公衆衛生学修士。医療の質向上を専門とする。在米日本人の健康増進に寄与することを目的に、米国医療情報プラットフォーム『あめいろぐ』を共同設立。

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例えば皆さんは、人間という生命体の何%くらいを僕たちは理解していると思いますか?70%でしょうか?50%でしょうか?それとも10%でしょうか?僕個人の意見ですが、恐らく分かっているのは多めに見積もって3%くらいだと思います。最近の研究はもっと進んでいるのかもしれませんが、僕の知っている限りでは脳もDNAもその構造のうち3%しか機能が分かってません。残りが本当に機能しているかどうか、単に意味のない細胞や情報の羅列なのかどうかも厳密に言うと分かっていません。

人間の仕組みに対する「無知への自覚」は医師にとっては自明のことです。したがって、目の前で起こっていることについても謙虚でいられます。ですから僕たちは、分からなかったことを後から振り返って他の医師と共有し、それを勉強して次の機会に生かします。最初から正解の選択肢が一つしかない状況は、実際の医療において稀なのです。無数にある分かれ道のうち、多くはどこかで交わり合い、結局は同じ目的地に着くこともしばしばです。恐らくそこが医療従事者でない人には理解しにくいのかもしれません。

これが司法の場(もしかしたら司法に限らないかもしれませんが)になると、「結果には必ず原因がある」と考えがちです。患者が死亡したからには、何らかのミスがあり、それが望ましくない結果につながった、という理論です。しかし、医療現場においては同じような状況で、同じような患者さんに、同じような振る舞いをしても、結果がいつも同じとは限りません。同じ道を選んでも、たどり着く目的地自体が、昨日と今日では違うことがあるわけです。すなわち、ある行為がある結果につながったと結論づけるのは、特殊な事例を除いてはほぼ不可能だと言っていいでしょう。

この理解の齟齬が生む結果は時に悲惨です。時間とお金の無駄もありますが、それ以上に精神的疲労とダメージが大きいです。「一生懸命患者さんに尽くしている」(と少なくとも自分は思っている)医師が、犯罪者として起訴されることによる個人への損害、そこから波及する社会への、医療界への損害は、想像している以上に大きいと思います。米国の訴訟社会(こちらは主に民事ですが)が医療にもたらした結果は、火を見るより明らかではないでしょうか。

医療の不確実性をどう伝えるべきか、僕は医療者側にもその責任の一端はあると思います。患者さんとの対話で「今のところあまりよく分からないんです」とお話しすることはよくありますが、他の職種の方との対話でも、司法の場でも、素直に分からないことを分からないと、もう少し伝えてもいいかもしれません。もしかしたら、医療の複雑さをもっと多くの人に伝える努力も必要かもしれません。

理解の齟齬は恐らく埋まらないだろうという前提のもとに、医療提供者の過失の有無を問わず患者に補償金が支払われる、無過失補償制度も最近は導入されています。現在は産科医療の一部に適応されていますが、今後さらに他の分野にも広がっていくかもしれません。これは確かに一つの答えだと思います。ただ、僕はもう少し違う形での解決策もあるのではないかと思っています。

それはもう少し「人間」的な、相互の信頼関係に基づく不確実性の許容といいましょうか。少し前時代的な考え方なのかもしれませんが、「あの先生は良くしてくれたんだし、病院の看護師さんも良い人ばかりだったから、結果は残念だったけど…」という理解の仕方です。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が最も適しているでしょうか。人智の及ぶ範囲は限られているということを、医師患者ともに理解した結果得られる知見です。

これが通用するほど甘い世の中ではないということは重々承知していますし、全ての例において適用できるわけではもちろんありません。しかし、それでも僕はこのような医師患者関係が、お互いにとって最も高い価値を生み、良い結果を生むと思っています。そして費用対効果も恐らく最大化されます。僕は日本人社会であれば、医師と患者がこのような関係を保つことは可能だと思っています。もちろんそれには、最良の医療を提供するために医療従事者がたゆまぬ努力を続ける必要があることは言うまでもありません。

1件のコメント

  1. 同感です。医師と患者さんとの信頼関係を構築する努力が必要です。向き合うのでなく、同じ方向に向かって歩む形がとれるといいですね。

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