Skip to main content
浅井章博

ブログについて

Born in Japanだが医者としてはMade in USA。日本とは異なるコンセプトで組み立てられた研修システムで医師となる。そんな中で、自分を成長させてくれた出会いについて一つ一つ綴っていく。

浅井章博

岐阜県産 味付けは名古屋。2003年名古屋大学医学部卒。卒業後すぐにボストンで基礎研究。NYベスイスラエル病院にて一般小児科の研修を始め、その後NYのコロンビア大学小児科に移り2010年小児科レジデント修了。シカゴのノースウェスタン大の小児消化器・肝臓移植科にて専門医修了。現在はシンシナティー小児病院で小児肝臓病をテーマにPhysician-Scientistとして臨床と研究を両立している。

“そもそも、医師の仕事は、高い、安いというものさしで計られるべきものではない。医療を商品として扱い、医師と患者を、商品を介在とした生産者と消費者の関係にしてはいけない。”

社会的共通資本 という考えがあります。人間が共同社会を作って暮らしているときに不可欠なもののことです。水、川、土壌、海といったものから、道路、橋、電気ガス、それから教育、医療、金融、司法、行政といった制度までも含みます。 それらのものは “決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない”という主張があります。端的に解釈しますと、必要不可欠なものが、便利さや効率性をベースにコントロールされてはいけないということだと思います。 内田樹さんの本から勉強させてもらいました。

僕が友人の言葉に持った違和感は、彼が、自分の受けた医療に対して完全に消費者として振舞っていたからです。彼の場合は病気ではなくて処方箋をもらいに行っただけですからその姿勢が強調されていたのでしょうが、病気を診てもらいに行く人でも同じような態度を取る人がいます。消費者としては、同じサービスを受けられるなら、できるだけコストが少なくなるように行動します。ワインを買ったり服を買ったりすることと同じ概念で サービスを”購入”するのです。サービスを受けられることに対しては、対価との交換なので、感謝するはずがありません。さらには得られた内容に対して金銭的に評価する、つまり、高かった、安かった、ということが”秤”になります。

ひるがえって、医療提供側はどうでしょうか?  都会で消費者側に様々な選択権があり、生産者(サービス提供者)を選別する機会がある場合は自然に競争が始まります。消費者化した相手に対して、生産者になるのなら、同じ医療を提供するならより少ない時間とコストを費やすように行動します。提供側の医師は、同じゲインのある状況なら時間と手間のかからない患者を選び、できるだけ勤務時間を短くするように行動するでしょう。 この市場原理では無償の医療行為は最大の無駄になります。

僕が医師としてトレーニングを受けたアメリカはこの原理で医療が動いています。少なくとも、病院経営に於いては。 個々の医師のスタイルは様々ですが、患者側の消費者化はかなり徹底してきています。 さらには、この医療の市場原理、実は近年の日本も、積極的に取り入れようとする動きがあります。

僕はこの原理はおかしいと思います。

医師と患者は、生産者と消費者であってはならない。

たまたま、アメリカにいることで、僕は個人的にそう思わせる体験に恵まれてきました。それは、”都会に居ながら医療過疎地に似た状況に身を置く”という体験です。 マンハッタンにもシカゴにも日本語で診療し日本の文化を理解している小児科というのは、実はほとんどいません。シカゴでは最近、日本人の小児科医が他の都市に引っ越されたそうです。内科医や家庭医で子どもを診る医師はいますが、小児科専門は実に希少です。そのために、僕自身は実際はビザの関係上開業できない状況なのですが、日本人のママさんコミュニティーにおいて”過疎地町医者”のような立場を体験することがありました。それは、前記の被災地において”居るだけで安心”と言って感謝される状況と似ていました。実際には医療行為をほとんどしないのですが、自分が居るだけでコミュニティーの中で ”医師”機能を発揮する事がよくわかりました。 まさに、自分はそのコミュニティーにおける社会的共通資本でした。

さらには、自分がそういう立場にいるということが分かると、こちらもコストや時間を惜しまなくなりました。患者さんが、僕以外にあてにする人がいないんだとわかると、ごく自然に責任感を感じることが出来ました。そこには市場的な競争原理が全く働いていないので、より良いサービスをすることが営業改善につながるとか、イメージアップになるとか、面倒な話は別の医者のところへ行ってもらうとかいうことが加味されません。夜電話でおこされることがあっても、見返りがなくても、特に負担に感じることはありませんでした。

僕は、医師として、このことを基礎においておきたい。

医療経済は21世紀の課題であり、市場原理に基づいた効率化はどうしても避けられないでしょう。しかし、たまたまとはいえ医師としての原始的な機能を体験したものとしては、ここはどうしても譲れない主義になるはずです。 自分は共同体の中の不可欠の機能を担うものであり、存在そのものが感謝されうるものであり、その思いに応え(Response)なければいけない= (responsibility) 。(注:岩田健太郎先生のブログより)

だから、決して医療を売ることを仕事としてはいけないはずです。この思いに至ったとき、何らかの行動を起こすべきだと思いました。しかしビザなどの拘束により直接開業できない現実があります。さらには、そんなに理想的なことばかりでは暮らしていけないのが21世紀の現実です。 病院で専門医をしているときは、限られた時間内に求められるタスクを消化しなければいけないので、全く別の行動原理で動いています。

そこで、このブログプロジェクトに挑戦することになりました。個々の患者さんを診ることは出来ませんが、ネットなら、地元のコミュニティーにおいて存在感を示すこと、アメリカの医療を知ってもらうことでアメリカの病院と上手く付き合う方法を考えてもらうこと、子供の一般的な病気のことや、予防接種、子供の生活安全のこと、などを発信することは可能です。ネット上からアプローチして、ローカルのコミュニティーに医師としてどうやってコミットしていくか、いろいろと試行錯誤をしていきたいと思います。

この試みがうまくいくかどうか、暖かく見守るとともにFeedbackをよろしくお願いします。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。


バックナンバー